友禅ができるまで

友禅の伝統

友禅は大阪夏の陣、冬の陣が徳川方の勝利に終り泰平の世が始まった頃、京都で生まれ、元禄の頃円熟期を迎えた日本独特の染と柄です。元禄文化は江戸の鎖国により長い平和が続き、江戸庶民の文化と生活が豊かに流れ、染色と工芸が美しく融合し合った時代でした。画家の「尾形光琳」がうちわ絵を描き、蒔絵の箱を造り、豪商の妻女のために筆を執って小袖に絵を描き、又「俵屋宗達」が障壁画に名品を残し、一方では浮世絵が一世を風靡した頃、はるか九州では博多織が織られるようになりました。当時江戸の名家、茶屋家によってつくられた、“茶屋染”は特に格式が高く「御所」「幕府」「徳川」御三家のみに使用を許され、どのように富豪、金持であっても茶屋染の着物は庶民の使用を禁じられて居りました。友禅の母体はそれほどの格式高いものであります。その御所の禁が解かれ、友禅染の山水柄を別名“御所解き”と呼ばれるようになった頃が、一番豊かで平和な時であったと言われて居ります。友禅はこのような時代の中で芽吹き、庶民の中に生きてきました。